フネノデンキヤの現状とマリンランプで一隅を照らし続ける未来へ

船のでんきや日東電機 マリランプ復興の灯り

2024/1/1 千年に一度の地震に遭い

 

倉庫と住居が全壊し店舗も半壊しました。

 

それでも壊れた住居の後ろの部分を自分で修繕し、家?として住み続け前に進んでいました

 

 

2024/9/21 今度は百年に一度と言われる大雨の被害に遭い

 

その家の床上120cmまで浸水しました。。。

 

一時は心が折れて砕けてしまいました…

 

それでもたくさんのボランティアさんや友人知人の温かい励ましをいただき

 

また、前を向いて進んで行く気持ちになれました

 

 

船のでんきやの現状

 

 

あの日から早いものでもう11ヶ月が経ち、輪島も徐々に公費解体も進みつつあり徐々に市街地の「空き地」が目立つようになってきています。

 

 

私個人としては、床下に約30cm溜まった泥と内壁をはがして泥の撤去と消毒乾燥を終え、避難所暮らしですが何とか生活できる環境に戻ってきています…

 

 

ただ周囲を見渡すと、あの日のまま手つかずの建物・ところどころヒビ割れて通れない道・まだインフラの整備もままならず生活に支障がある人達もたくさんいます。

 

 

弊社はありがたいことにお陰さまで全国各地から「マリンランプ」の注文をいただき、どうにか営業を続けておりますが

 

 

肝心の輪島の漁業は調査目的の一部の船が動くだけで、港の隆起(海底の浚渫(掘り下げる)工事は進んではいるのですが…)

 

 

その他漁協の施設の修理もなかなか進まず完全な再開のめども立っていません。

 

 

正直なところ素直に「これから頑張ろう!!」という気持ちにはなれない状況が続いているのです…

 

 

輪島の漁業の現状

 

先日テレビで輪島港はほぼ復興し、11月のカニ漁から「例年通りの漁業が再開される!」との報道がなされていました。

 

 

えっ!?と思い、こんな事実無根のニュースが流れて輪島や能登半島がもう復興していると勘違いされは困るので、知っている限りの真実を集めてみた。

 

産経新聞の2024/11/1 の記事が真実だ

 

 

そんな中11/1付の産経新聞に次のような記事を見つけたので、ここで皆さんに読んで欲しい!と思い掲載いたします。

「数千年に一度」海底隆起の漁港、復旧は東日本以上に困難 岐路に立つ漁業者ら

 

 

能登半島地震では、海底が隆起するなどしたことで港に大きな被害が出た。

 

 

北陸有数の水揚げ量を誇る輪島港(石川県輪島市)も漁に出れない状態が続いたが、地震から10カ月が経過した11月からようやく漁を再開する。

 

 

ただ、地形が大きく変化したため地震前と同じように漁ができるかは依然として不透明で、漁業関係者らはもどかしさを抱えながら漁業存続に向けた道を模索している。

 

 

今年の漁獲ほぼゼロ

 

 

船を停泊する輪島港の船だまりでは10月下旬、隆起した海底を掘る重機の音が響き、漁業関係者の姿はまばらだった。

 

 

地震前は約200隻の船が行き交い、活気にあふれていたが、約10カ月にわたり漁ができない状況が続く。

 

 

漁師のMさん(66)は「今年は一度も漁をしていない。11月から刺し網漁を開始したいが、この状況を見るとどうなるかは分からない」とため息をつく。

 

 

1月1日の地震で輪島港や周辺の港は海底が隆起。輪島港では1・5~2メートルの隆起が確認され、船が走行できなくなったほか、荷さばき所の損傷や船を係留する物揚げ場も大きな被害を受けた。

 

 

定置網漁や底びき網漁、刺し網漁などの拠点となる輪島港。獲れた魚は全国に出荷され、日本の食文化を支えている。

 

 

石川県漁業協同組合輪島支所によると、令和4年度の販売取扱数量は6177トン。一方で5年度は今年1~3月に漁ができなかったため4852トンまで落ち込んだ。

 

 

同支所の統括参事は「6年度は現時点でほぼゼロ。漁が再開できても、震災前の状況にすぐ戻ることもできず、魚の価格転嫁をしていかないと生活面で厳しい」と話す。

 

 

国は船が動ける十分な水深を確保するための一時的な措置として土砂を掘り出す工事を7月に完了。

 

 

残りの部分は県が掘り出し作業を進めており、現在は国が工事を終えたエリアに船が密集している。

 

 

10月中に物揚げ場の仮の復旧工事が終わり、船を係留するスペースが拡充。

 

 

桟橋での荷揚げ作業などが可能となったことで、11月6日のカニ漁解禁を皮切りに漁を本格的に再開していくという。

 

 

ただ、現在はあくまでも仮復旧の段階。

 

 

ある漁師は「漁に出て魚を獲っても、港で受け入れる態勢が全然追い付いていない」とこぼす。

 

 

地震前と同じ水深まで掘ったり、共同利用施設を新設したりといった以前と同じような環境に戻す本格的な工事は、完了の時期が見通せていない。

 

 

また以前は24時間体制の荷さばき所で漁協の職員が漁に必要な氷を提供したり、魚を選別して箱詰めしたりする作業ができていたが、地震の影響で職員が金沢などに避難し、人員が激減。

 

 

漁師の作業工程が増えることになり、出漁回数の減少も予想される。

 

 

県によると、県内69の漁港と12の港湾のほとんどが同様に地盤の変化による被害を受け、順次工事を進めているものの多くが地震前の状況に戻れていない。

 

 

輪島を中心とした奥能登の漁業は岐路に立たされており、漁師のMさんは「比較的若い年代はアルバイトを始めているが、この年では難しい。一刻も早く漁ができるようにならないと」と強調した。

 

ハードとソフト両面の支援

 

 

地震で大きな被害を受けた石川県内の漁港は順次仮復旧が進み、これから本復旧に入るが道のりは険しい。

 

 

海底の隆起は深刻なところで最大約4メートルとなり、専門家は「こうした現象は数千年に一度」とする。

 

 

平成23年の東日本大震災で被災した漁港以上に復旧作業が難しいとされ、目途が立たなければ能登の漁業が衰退する懸念もあり、迅速な支援が求められる。

 

 

東日本大震災では岩手、宮城、福島の3県を中心に約320の漁港が被災し、8230億円の被害が発生。

 

 

津波により漁港施設が壊滅したほか、約1メートルの地盤沈下などで漁港としての機能を失ったが、沈下の分をかさ上げすることで原状回復に至っている。

 

 

一方、能登半島地震では例のない大規模な海底の隆起が発生。

 

 

輪島市の鹿磯(かいそ)漁港では最大4メートル隆起しており、現地を調査した専門家は「干上がった状態を掘削するには時間がかかり、工事は東日本以上に大変」と話す。

 

 

復旧に時間がかかることが予想される中、漁業者をどのように支援するかが重要となる。

 

 

国は被災者の生活と漁業の再建を支援する政策パッケージを策定しており、漁再開までの間、他の漁船や他地域の漁業者が被災漁業者を一時的に雇用して行う研修や、金融支援などを展開している。
 

 

ハードとソフト両面での支援が進むが、行政側の進める復旧スケジュールと現状に乖離(かいり)を感じる漁業関係者も少なくない。

 

 

ある関係者は「漁に必要な氷や給油の設備など、まだ地震前には程遠い」としている。

 

 

将来見据えた復興を 

 

港の被災は魚介類の取扱量に直結しており、石川県内の水産消費、そして観光に大きなダメージを与えている。

 

 

漁業を営む人が多い地域では、再開しないことには人が戻らず、地域全体の復興が遅れることになる。

 

 

また輪島港は日本海を航行する船舶が何かあれば避難する港でもあり、こうした面でも機能の回復が喫緊の課題となる。

 

 

復興では輪島の中心市街地と一体的な再開発が進んでいく想定だが、しばらくは仮復旧の段階で漁が続くことになる。

 

 

漁業従事者のことを考えると、一刻も早く本復旧を進めなければならない。

 

 

安定して漁ができるインフラ整備に加え、未来を見据えた復興支援も重要となる。

 

 

東日本大震災では、復興にあたり港内の施設の高度化が重要視された。

 

 

能登の港でもこうした復興例を踏まえた整備が望ましく、その地の漁業や文化について知れる情報発信のような場や、新鮮な魚を食べられる場所の設置が考えられる。

 

 

原状回復だけでなく、能登のブランド力を向上させる拠点施設になるよう再整備することが大切だ。

 

 

船のでんきや日東電機の歴史とこれからの夢

 

 

船のでんきや日東電機は、「昭和26年頃から地元の漁船にバッテリーを販売したり発動機を修理していたのがはじまり」と創業者であり先代の社長でもある父に聞いていましたが、

 

 

なにせ田舎のこと当時は戦後のドサクサではっきりした資料が残っていません

 

 

元々は漁師だった父は、若いころ肺結核を患い療養生活をするため漁師を断念したが、手先が器用だったのでちょっとした船の修理や大工作業の手伝いをしていたらしいのです。

 

 

そんな父はとってもユーモアのある人だったので、いろいろな会議などの集まりにでかけては雑談で頓智のきいた発言をしたりし結構人気者だったと聞いています(息子が言うのも変な話ですが・・・)

 

 

それから「日東電機工業所」を興し、世の中の近代化の波に乗り漁船のエンジン修理や鉄工部門、家庭電化製品の修理や販売などを幅広く手がけ、町の便利屋として一代で大きく商売を広げていきました。

 

 

その後、平成元年に法人化し現在の名称になりました。

 

「210dk」の意味

 

 

私が日東電機で働きだしたある日のこと、「これからの仕事に関係するから、目を通しとけ!」と渡された会議資料に隅に書かれていたのが「210dk」という文字。

 

 

気になったので他の資料もいろいろ見てみると、ほとんどの資料の表紙の隅に「210dk」と書かれていました。

 

 

そんな中、地方の一零細企業に過ぎない弊社が「日東」(日本の別名(中国から見て)日が昇る東の国ということです。)を名乗るのはおこがましいのかもしれませんが、

 

 

父は父なりにこの社名に誇りをもっていたと思います。

 

 

父が亡くなったあと、あとを継いだ私がちっぽけな会社(店舗といった方がしっくりくるかも・・・)でもキラリ!と光る何かをホームページやSNSで発信したいと思ったとき、

 

 

そこに「210dk」を使おうと真っ先に考えたのはそんな父の思いがあったからです。

 

 

一隅(いちぐう)を照らす

 

 

「一隅(いちぐう)を照らす」という言葉があります。
 

 

天台宗の開祖・最澄の言葉です。
 

 

「一隅を照らす、これすなわち国宝なり」という言葉です。
 

 

一隅とは、片すみや自分のいる場所。
 

 

一人ひとりが自分のいる場所で一隅を照らしていくことこそ、
 

 

私たちの本来の役目であり、それが積み重なることで世の中がよくなるという事です。
 

 

どこかの片すみでも、小さな事でも、一つひとつ真面目に行う。
 

 

今の自分にできることを一生懸命やる。
 

 

そうやって一人一人が灯す小さな光がやがて大きな光となる。
 

 

忘れがちだけど、そんな当たり前のことを思い出させてくれる言葉です。
 

 

「一隅を照らす」つまり、「自分が住んでいる場所で精一杯に尽くす」
 

 

そんな姿勢で毎日を送っていれば、必然的にその場その場で欠くことのできない店となり
 

 

地域からも必要とされるようになっていくはずです。

 

 

フネノデンキヤのこれから

 

私には夢があります

 

「マリンランプ」と言う商品をもっと広く皆様に知って欲しいのです!

 

 

古くから変わらずに使われ続けているものは、それだけで何かを感じてしまいます。

 

 

変わらずに活躍し続けてきたという堅実さに敬服する気持。

 

 

流行りモノともアンティークとも違ったロマンと信頼感。

 

 

昭和中期から50年以上、海で生きる人たちを照らし続けているのが船のでんきやが販売する照明器具「マリンランプ」です。

 

 

今でも漁船や客船、海上保安船などの作業灯・通路灯として使用されています。

 

 

海という過酷な環境に使用されるため、電球はガラスのグローブでおおわれ、さらに真鍮のガードでカバーされています。

 

 

もちろん耐久性と防水性が備わっていますし、そ形はシンプルで合理的。

 

 

海を漂う船上を灯すために考えられた機能そのものが美しさとなってあらわれているのです。

 

 

決めて断ずる

 

 

ただ嘆いてばかりもいられません

 

 

営業再開やその他の補助金申請などの締め切りがせまっているからです

 

 

思えば、輪島を離れて他の土地で開業しようかと空き店舗などをさがしたりした日々があったり

 

 

今のこの地で「なりわい」の再建をはかろうかとも思ったり

 

 

あれは切り捨てなければ、これはどうしよう?と

 

 

いろいろ自問自答しては、何回も考え直したりして今日まできましたが

 

 

いよいよ、その時が来たようです。

 

 

決断とは文字通り、きっぱりと決めて迷いを断つ!

 

 

必要なものを決めて不必要と思われるものは切り捨てる…

 

 

スペースや予算も限られる中での営業再開!

 

 

そうしていかないと今まで通りと言う訳にはいきません。

 

 

前にも言ったように、輪島の漁業が完全に復興するにはまだ何年かかるかわからない状況です。

 

 

幸い全壊した住居兼倉庫が今月完全に緊急解体が終わり、更地になりました。

 

 

この場所に、自分なりの秘密基地(マリンランプショールーム)を作る予定をしています。

 

 

全容をご紹介できるのは、もうしばらく先になりそうですが、

 

 

やわやわと進んでいきますので、どうか今後ともヨロシクお願い致します。

 

船のでんきや日東電機 クラウドファンディング

いつの日か、輪島の漁業が復興する日を信じて頑張ります!

 

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